日本初の洋式灯台「観音埼灯台」の初点灯から今年で150年を迎えた。
現在、航海には衛星利用測位システム(GPS)が活用されているが、かつては灯台が暗夜の海で唯一の”命綱”だった。
その光を送り続けたのが灯台守。
彼らの多くはへき地での生活を余儀なくされ、買い物一つするにも、海岸の危険な岩場を通らなくてはならなかった。
妻子が波にさらわれたこともあった。
それでも海の安全を守るために、灯台の光を絶やすわけにはいかない。
厳しい環境にあった灯台守の心を支えていたもの……それは、”自分がやらなきゃ誰がやる!”との「守灯精神」だった。
時代は変わっても、こうした先人たちの崇高な心意気を忘れてはならないだろう。
”他の誰でもない、私が断じてやる”
一つの灯台が輝けば、無数の船を安全な航海に導くことができる。
同じように「決意の一人」が立ち上がれば、そこの未来は大きく変わっていく。
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