児童文学者・吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』のブームが再熱している。
主人公の少年コペル君には何でも教えてくれる博識な叔父さんがいる。
その叔父さんが一つだけ「答え」を示さなかった問いがある。
「(君は)ある大きなものを日々生み出している」
「それはいったい何だろう」
コペル君は友人関係の悩みや自分の弱さと向き合う中で考え抜き結論を見出す。
僕が ”いい人間” になれば、いい人間を一人生み出すことになる
それ以上のものを生み出す人間にだってなれるんだ
現代では答えの用意された問題をすばやく正確に解く力に、
かつてほどの価値は無い。
インターネットで検索すればすぐに答えは出る。
必要なのは「答える力」以上に「問い続ける力」。
人生に関わる「大いなる問い」であるほど簡単には答えは出せないし、
“正解” もひとつではない。
問いとは鐘を突くようなものだと中国の古典『礼記(らいき)』にある。
「之(これ)を叩(たた)くに小(しょう)なる者(もの)を以(もっ)てすれば則(すなわ)ち小さく鳴(な)り、
之を叩くに大(だい)なる者を以てすれば則ち大きく鳴る」
「何のため」という問いを手放さない人でありたい。
「大いなる問い」は「大いなる人生」をつくる。
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